会社案内Topアサヒ住宅の歴史                                              












株式会社 アサヒ住宅
代表取締役社長 
山下 雅史


 
親孝行日本一を目指して
「やまひろ」の信用と和の精神を守り継承して

創業者・山下広義の口癖は「積善の家に余慶あり」でした。時代のうねりの中で様々な局面を経験し、姿は大きく変わりましたが、「信用と和」を第一とする考えに変わりはありません。この文化を大切に、これからも地域と共に歩んでいきたいと思います。

株式会社アサヒ住宅の前身「やまひろ」は、大東亜戦争敗戦後間もない昭和29(1954)年4月に尾鷲市大鷲館通り商店街に山下広義・千穂夫婦によって、雑貨商やまひろとして創業しました。広義の実家の洋服店からの独立でしたが、仕入先にはやまひろと取引をするなら本家は取引をやめるとの通達の中からの創業でした。以後、時代の流れの中で環境に適応していくアサヒ住宅の第一歩です。千穂の商売のいろはは材木商としての実家で培われたようでした。その年はテレビ放送が開始され力道山人気の時でした。
 昭和29年(1954)
大鷲館通り

 昭和32年(1957)
やまひろ店員さんたち
広義・千穂・雅史

その後、昭和34(1959)年3月12日に株式会社に組織変更し昭和38(1963)年に愛知県豊橋市駅前にセルフスーパーチェーンを目指し「衣料スーパーやまひろ」を出店しました。大繁盛店となり次の出店を考えている時に社員に仕入れた商品ごと持ち逃げされ敢え無く撤退しました。被害総額当時金額で3000万円でした。別法人での損害のため放棄する事は可能でしたが、すべては人を見る目が無く、管理能力不足であった自分の責任であると逃げる事はありませんでした。そこで真相を知るまわりの人から信用を得たのでした。しかし、そこからが本当の苦労の始まりでした。

その負債を返済するべくはじまったのが昭和45年不動産業朝日商事の開業でした
資本金が無い中でのスタートですので酢酸を舐める日々が続きました。その中で千穂は株式会社やまひろを持ち前の頑張りで昭和50年呉服専門店として新装スタートしたのでした。
不動産業と呉服専門店の二足のわらじでしたが、広義は病魔に犯され事業の主体は千穂が呉服専門店として支えることになりました。「お客様に喜んで頂きたい」この一心でやまひろのきもの自体に独自の付加価値を付けて高級呉服を提供して参りました。苦しい中でしたが、商いの基本である「顧客満足の追求」はここから始まったのでした。

 昭和50年(1975)
大鷲館通り
オリオン座
現社長雅史が昭和56年(1981)呉服の勉強先の九州博多より帰省しやまひろに入社した時、財務内容を見て愕然とし自動的に約束手形の資金繰りが始まったのでした。8勝7敗で勝ち越して喜んでいる相撲取りが羨ましかった事を思い出します。こちらは月末の手形を一回でも不渡りしたらおしまいの中でしたので、全勝しかないと思いました。何よりも凄い格闘技をやっている想いでした。私の人生は手形を落とすだけで終わってしまうと考えた夜が何日あったか数え切れませんでした。もうダメかと思ったときに思ってもいない入金や売上に対し手を合わせてお客様を見送ったこともしばしばありました。帰られても手を合わせて拝んでいました。しかし、とうとう万事窮すのときが来ました。帰省して6年目の昭和62年(1987)冬30歳の時に下北山村で目標が行かず展示会が終わった時に見た<オリオン座>の青白かった光が忘れられません。
月末の手形決済資金が足りず夜に親戚の家に行き玄関で土下座してお金を借りに行った時の思い、もうどうしようも無かった事が私の原点です。そして、数日後お寿司屋さんに呼ばれお客さんと友人の前で明日返せと怒鳴られたこと。その晩母がダンプに身を投げて楽にしてあげると言ってくれたことが「親孝行日本一になる」と考えた原点でした。その晩妻に経緯を説明しながらどうしても涙が止まらなかったことを忘れることが出来ません。お金が今は無いぐらいで、人生諦めたらあかん!自分の娘が嫁ぐ日は充実感あふれる我が家から見送らせてあげたい。賃貸住宅で持ち家を諦めかけている人達に月々家賃並みから土地付き新築注文住宅を提供するミレーヌ住宅はここが原点として誕生しました。そして、現在のミレーヌ住宅のデザイン・外観・色はこのやまひろ呉服店に原点があります。
 広義・千穂
振り返りますと今の事業はそこから抜け出すために始めたようなものでした。

アサヒ住宅本社

伊勢市・大台町・四日市市の大型土地仲介を成功させ、昭和63(1988)年より宅地開発事業を手掛け300世帯以上の方々に心豊かに暮らす環境を提供して参りました。平成になり懸案の支払手形も無くなった平成7年広義の死と同時に自ら設計・施工を手掛けるようになり建築部を設置しました。平成10(1998)年に千穂実家の倒産に伴う大型土地競売となり先祖供養・親孝行日本一と意気込み年商以上の金額で買い戻し、その場所に本社を新築移転いたしました。

ところが、平成14年の売り上げ不振の折に金融機関へのリスケジュールを申し込み一時的に融資がストップする羽目に陥りました。少し男樹を出しすぎたことを反省しております。時代はデフレに向かっているときにインフレのものを提供しようとしていたのでした。そこで生まれたのが「ミレーヌ住宅」(商標登録出願中)でした。


広義のもう一つの口癖は「共存共栄」でした。お客様の喜び・幸せが無ければ我々の喜びや幸せは存在しないという自然の法則です。提供させて頂いた住宅は150棟を超え、来年が創業55周年本社新築移転11年目にあたり、地域の活性化をモットーにした「地産地消」ヒノキの家に制震装置を装備した地震に強い家 カトラン住宅に挑戦していきます。東海沖地震・南海沖地震・東南海沖地震がいつ来ても不思議ではないといわれている中、本気で地震に強い家を造って行きます。その為にカトランFCに加入し制震技術を習得しましたことをご報告いたします。平成21年9月より建築基準法が改正され、瑕疵担保保証・構造計算書が義務化されますが、当社ではすでに耐震等級も最高レベルの3を取得し、保証は4年前から付けていたことも報告します。今後もさらにお客様と安心して一生付き合いが出来るように健全経営に努め、「信用と和」の精神で地域社会と共に歩んでいきます。